そうだ、山寺へ行こう
休日の朝、ふと思い立って山形県の山寺へ出かけてきました。
隣の宮城県に住んでいながら、実はこれまで一度も訪れたことがありません。
車なら気軽に行ける距離なのに、「いつか行こう」と思ったまま年月だけが過ぎていました。
一人旅のいいところは、誰にも気を遣わなくていいこと。
行き先も、休憩するタイミングも、その日の気分次第。好きな景色の前で立ち止まり、気が済むまで眺めていられる。そんな自由な時間を楽しみながらのドライブです。
山寺の正式名称は立石寺。山形県を代表する観光地のひとつで、千段を超える石段を登って参拝することで知られています。俳人・松尾芭蕉 が訪れた地としても有名で、歴史と自然が織りなす風景を求めて多くの人が訪れます。
ただ、その石段は決して楽な道ではありません。
それでも、登り切った先に広がる景色は、苦労を忘れさせるほどの美しさでした。
今回の旅を思い立ったのは、本当にその日の朝のこと。
「今日は天気がいいな」
そんな何気ない一言から始まりました。
水筒にお茶を入れ、動きやすい服に着替え、背中にはリュックを背負う。まるで軽い登山に出かけるような格好で家を出ます。
正直なところ、不安もありました。
この年齢で千段以上の石段を登り切れるだろうか。
途中で息が上がってしまわないだろうか。
けれど、「いつか行こう」と思っているうちに何年も過ぎてしまったのです。次の機会を待っていたら、また同じことになるかもしれない。そう考えると、不安よりも「行ってみたい」という気持ちのほうが勝っていました。
車を走らせること約一時間半。
山道に入ると、青々と茂る木々の間から初夏の日差しが降り注ぎます。空は雲ひとつない快晴。窓の外に広がる緑を眺めながら走っているだけで、なんだか気分が軽くなっていきました。
そして無事、山寺に到着。
山寺の駐車場

周辺には駐車場がいくつもあり、この日は平日だったこともあって空きに余裕がありました。休日や紅葉シーズンになると、きっと早い時間から混み合うのでしょう。
ところが、初めて訪れた私はひとつ失敗をしてしまいます。
空いていた駐車場を見つけて何も考えずに車を停めたのですが、後になって、そこが登山口から少し離れた場所だったことに気づいたのです。
もっと近くに停められたのかもしれません。
とはいえ、その日は風も心地よく、気温もそれほど高くありませんでした。
参道へ向かってのんびり歩く時間も悪くない。
この時の私は、これから待ち受ける千段超えの石段のことなどまだ深く考えず、気楽な気分で山寺へと向かっていたのでした。

駐車場からしばらく歩くと、鮮やかな朱色の橋が見えてきました。
橋の向こうには土産物店や食事処が並び、その先には深い緑に包まれた山々が広がっています。ここまで来ると、「いよいよ山寺に来たんだな」という実感が湧いてきました。
平日だったこともあり、人通りはそれほど多くありません。観光地でありながら、どこかゆったりとした空気が流れています。
橋の上から周囲を見渡すと、山の緑がとても鮮やかでした。空気も澄んでいて、街中では感じられない心地よさがあります。
この時はまだ、これから待ち受ける千段を超える石段の大変さなど知る由もありません。
「まあ、なんとかなるでしょう」
そんな気楽な気持ちで橋を渡り、山寺の参道へと向かいました。
山寺への入り口(登山口)

赤い橋を渡って5分ほど歩くと、いよいよ山寺の入口が見えてきました。
目の前には真っすぐ伸びる石段。その脇には「宝珠山立石寺」と刻まれた大きな石碑が立っています。
写真ではそれほど長く見えないかもしれませんが、この先には千段を超える石段が待っています。
石段の先へと視線を向けると、木々の緑に包まれた山の中へ道が続いていました。まるで「ここから先は別世界ですよ」と誘われているようです。
ここまで来ると、不思議と不安よりも期待のほうが大きくなっていました。
本当に登り切れるだろうか。
そんな思いが頭をよぎる一方で、「せっかく来たのだから頂上まで行ってみたい」という気持ちも強くなります。
入口の周辺はきれいに手入れされており、季節の花々が咲いていました。観光地らしい賑わいはあるものの、どこか落ち着いた雰囲気があります。
石段の前で軽く水分補給をして深呼吸。
ここから先は、いよいよ山寺名物の石段との戦いです。
果たして運動不足気味の50代でも無事に登り切ることができるのか――。
少しだけ緊張しながら、私は最初の一段に足を乗せました。
山寺の受付

入口までたどり着くと、歴史を感じさせる重厚な山門が迎えてくれました。
長い年月を経てきた木材は黒く艶を帯び、そこに刻まれた文字からも山寺の歴史の重みが伝わってきます。
ここで拝観料500円を支払い、いよいよ境内へ。
正直なところ、この時点ではまだ少し観光気分でした。
「石段が多いとは聞くけれど、まあ何とかなるだろう」
そんな軽い気持ちで受付を済ませます。
しかし、この先に待っているのは想像以上の道のりでした。
門をくぐると、空気が少し変わったように感じます。
車が行き交う道路の音は遠ざかり、聞こえてくるのは木々が風に揺れる音と、参拝客の話し声だけ。
まるで俗世と切り離された別の世界へ足を踏み入れたような感覚です。
周囲を見渡すと、背の高い杉の木々が空へ向かって伸びています。
その姿は圧巻で、千年以上もの歴史を見守ってきた場所なのだと改めて実感しました。
門の前で軽く深呼吸をひとつ。
リュックの肩紐を締め直し、水筒の位置を確認します。
観光というより、これから始まるのはちょっとした登山です。
さて、千段を超える石段へ挑戦開始。
果たして最後まで体力は持つのでしょうか。
少しの期待と少しの不安を胸に、私は山寺の奥へと足を進めました。
山の中の石畳

山門をくぐると、いよいよ石段が始まります。
平日だったので、人はそれほど多くないだろうと思っていたのですが、意外にもたくさんの参拝客や観光客の姿がありました。
私と同じように一人で訪れている人もいれば、夫婦や友人同士で来ている人たちもいます。海外からの観光客らしき姿も見かけました。
やはり山寺は平日でも人気の観光地なのだと実感します。
石段は思っていたよりも歩きやすく整備されていて、両脇には背の高い杉の木がまっすぐ空へ向かって伸びていました。
見上げると、その高さに思わず息をのみます。
木々の間から差し込む柔らかな光が石畳を照らし、周囲にはひんやりとした空気が漂っていました。
麓では少し汗ばむ陽気だったのに、ここはまるで天然のクーラーの中を歩いているような心地よさです。
聞こえてくるのは、参拝客の話し声と鳥のさえずり、そして木々を揺らす風の音。
一歩一歩石段を登るたびに、日常の喧騒が少しずつ遠ざかっていくような気がしました。
もっと急な階段を想像していたのですが、この辺りはまだ余裕があります。
「意外といけるかもしれない」
そんなことを思いながら歩いていました。
もちろん、この時はまだ千段を超える石段の本当の洗礼を受ける前だったのですが……。
それでも、杉並木の中を歩く時間はとても気持ちよく、足を止めては景色を眺めながら、ゆっくりと山の奥へ向かっていきました。
あとどれくらい?

石段を登っていると、道の脇に小さな案内板を見つけました。
そこには「三十三観音」と書かれています。
どうやら山寺では、ところどころに現在地や見どころを示す案内が設置されているようです。
「どれどれ、今どの辺なんだろう」
少し期待しながら確認してみたのですが、その結果に思わず苦笑いしてしまいました。
まだ全体の三分の一ほど。
えっ、まだ三分の一?
体感では半分以上登ったつもりだったのです。
ここまで来るだけでもそれなりに息は上がり、太ももにはじんわりと疲労が溜まり始めていました。
普段から運動不足気味の身には、石段の一段一段が思った以上に堪えます。
足を上げるたびに太ももが重くなり、ふくらはぎも少しずつ張ってきました。
「これは明日、筋肉痛かもしれないな……いや、明後日か……」
そんな考えが頭をよぎります。
それでも周囲を見渡せば、樹齢何百年もありそうな杉の巨木が立ち並び、濃い緑の葉が頭上を覆っています。
木陰のおかげで直射日光はほとんど当たらず、時折吹き抜ける風が汗ばんだ頬を冷やしてくれました。
石段の脇には苔むした岩や草花があり、まるで山そのものが参拝者を見守っているかのようです。
足は悲鳴を上げ始めているのに、不思議と引き返そうとは思いませんでした。
むしろ、「ここまで来たのだから頂上まで行きたい」という気持ちのほうが強くなっていきます。
休憩を兼ねて水筒のお茶をひと口。
深呼吸をして気持ちを立て直し、再び石段へ向き直りました。
まだ三分の一。
先は長い。
けれど、その先にある景色を見るために、私はなんとかひたすら頂上を目指したのでした。


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