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良い事をしているのに幸せになれないのは何故?――50代で気づいた、本当の幸せの形

良いこと スピリチュアル
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人に優しくしてきた。
家族のために尽くしてきた。
嫌なことも我慢してきた。

それなのに、なぜか幸せになれない。

むしろ自分勝手な人のほうが楽しそうに見える――。

そんなふうに感じたことはありませんか?

若い頃の私は、「良い人でいれば幸せになれる」と信じていました。

家族のために働き、子どものために時間を使い、周囲に迷惑をかけないように生きる。

自分のことは後回しにしてでも、誰かの役に立つことが大切だと思っていました。

けれど50代になった今、ふと振り返ると、こんな思いが胸をよぎります。

「私は、いったい誰の人生を生きてきたのだろう」

離婚や子育てを経験したからこそ見えてきたことがあります。

今日は、「良いことをしているのに幸せになれない理由」を、少しスピリチュアルな視点も交えながら書いてみたいと思います。

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良いことをすれば幸せになれると思っていた

心の中

1,見返りを求めているかどうか

少し前の私は、

「情けは人のためならず」
「善い行いは巡り巡って自分に返ってくる」

と信じていました。

もちろん、それは間違いではないと思います。

けれど今振り返ると、心のどこかでこう思っていた気がします。

「これだけ頑張っているのだから、いつか報われるはずだ」と。

離婚を経験したとき、私は初めて気づきました。

善行と幸せは、必ずしも等価交換ではないのだと。

人は誰しも、

「感謝されたい」
「大切にされたい」
「自分も幸せになりたい」

と思う生き物です。

私も子育て中、心のどこかで

「これだけ尽くしているのだから、いつか子どもは分かってくれる」

と思っていた気がします。

でも、愛情も善意も投資ではありません。

見返りを求めた瞬間、相手から返ってこなかったときに苦しみが生まれます。

以前、知人がこんなことを言っていました。

「良い事を引き寄せるためには良い事をしなきゃね」

その言葉を聞いたとき、私は少しだけ違和感を覚えました。

良い事を引き寄せるための善行は、どこか取引に似ています。

本当に徳を積むというのは、損得を超えたところにあるのかもしれません。

2,善意の中に潜む「見下し」

東日本大震災の後、私は観光案内の仕事をしていました。

ある日、観光客の方からこんな言葉をかけられました。

「被害にあった人達が可哀想だから、お金を落としていってあげようと思って来たんだ」

来てくださったこと自体は本当にありがたかったのです。

けれど、その言葉に胸の奥が少しざわつきました。

なぜだったのだろう。

今なら分かる気がします。

人は助けられることより、「下に見られること」に傷つくのです。

善意は、相手と同じ目線に立ったときに初めて温かさを持つのかもしれません。

「私が助けてあげる」

ではなく、

「困ったときはお互いさま」

そんな気持ちが、本当の優しさなのではないでしょうか。

3,自然に差し伸べた手は巡り巡って返ってくる

幸せそうな人を見ていると、共通点があります。

その人たちは、良い事を「している」のではなく、自然に「してしまっている」のです。

困っている人がいたら声をかける。

悩んでいる人の話を聞く。

見返りも評価も求めない。

まるで呼吸をするように。

スピリチュアルでは、エネルギーは循環すると言われます。

自然な善意は、形を変えながら巡り巡って人生に返ってくる。

それはお金かもしれないし、人との縁かもしれないし、苦しい時に差し伸べられる誰かの手かもしれません。

それでも全然良い事が起こらないと感じたら?

悪いこと

以前、知人がこんなことを言っていました。

「私はずっと人に良い事をしてきたのに、全然自分には返ってこないんだよね」

その言葉を聞いたとき、私は少し考え込んでしまいました。

なぜなら、「返ってこない」と感じること自体が、もしかすると心のどこかで見返りを求めている状態なのかもしれないと思ったからです。

もちろん、人は誰でも報われたいものです。

感謝されたいし、大切にされたい。

それはとても自然な感情だと思います。

私自身も、離婚や子育ての中で、「こんなに頑張ってきたのに」と感じたことが何度もありました。

けれど人生を振り返ってみると、良い行いというものは、種をまいてすぐ芽が出るものではないように感じます。

今日まいた種が、明日花を咲かせるわけではありません。

何年も経ってから、思いもよらない形で実を結ぶことがあります。

見返りを求めずに誰かに親切にしたこと。

損得を考えずに差し伸べた手。

本当に自然な善意というのは、不思議なことに、自分でもやったことを忘れてしまうものです。

そして、忘れた頃にふと振り返ると、

「そういえば、困ったときには誰かが助けてくれたな」

「不思議なくらい、人との縁に恵まれてきたな」

そんな出来事が人生のあちこちに散らばっていることに気づきます。

それは以前、自分が誰かに向けた優しさが、形を変えて戻ってきたのかもしれません。

もちろん、人生には理不尽なこともあります。

良い人が苦しみ、誠実な人が報われない場面も少なくありません。

だから私は、「良いことをすれば必ず幸せになれる」とは言い切れません。

けれど、人に向けた優しさは決して消えず、どこかで誰かの心を温め、その温かさが巡り巡って人生を支えてくれる。

そんなふうに私は信じています。

今のあなたの人生にも、忘れてしまっているだけで、誰かから受け取った優しさがあるのではないでしょうか。

少し立ち止まって振り返ってみると、思い当たることがあるかもしれません。

まとめ

離婚も経験しました。

子育てに悩んだ日々もありました。

思い通りにならない人生だったかもしれません。

それでも今思うのです。

幸せになるために良い事をするのではなく、良い事をした自分自身が穏やかでいられること。

それこそが本当の幸せなのではないかと。

50代になった今、誰かに優しくするように、自分自身にも優しくありたいと思っています。

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